時事ネタ 桃
文=榊原けい
風に漂う沈丁花やきんもくせいの香のかぐわしさに季節のうつろいを感じられるようになり、齢二十をいくつか過ぎてやっと言語化の難しい匂いの領域に少しずつ魅せられ始めた私にとって、スーパーマーケットの青果コーナーに立ち寄った折に旬を迎えた桃のひときわ存在感の強い香に夏を実感したことは最近の出来事の中でも印象的なものとしてあるのだが、桃の香をもう存分に味わってしまいたいという焦がれに似た昂ぶりを鎮め切れず最終的に人を家に招いて桃を食べる会を催すに至ったのは、巷にささやかれる匂いと季節や匂いと変態行動の関係はさておき、なんにせよ再会の良いきっかけだったのだと思う事にしている。
季節の楽しみ方は数あれど、猛暑が日陰者たちを薄暗がりへと追い立てるこの季節、バーベキューや花火といったガラではない私はこの暑さにヒイコラ言わされるだけでなくなんとかして楽しんでやりたいと考えていた。香はそんな矢先のことであったから、桃会は夏へのうってつけの反撃であった。
日程を調整し、お世話になっている先輩数人をお招きした桃会は、私のふがいなさのためにグダグダの進行となってしまった。
いざ桃を買ってみても、嫁入り修行などしていない身、果実の剥き方なぞ林檎以外に知るはずもなく、結局インターネットに頼ることとなったのだが、農園のホームページから桃の剥き方を解説する動画へのリンクが貼られているのには驚いた。
農家の方々によれば桃は皮に近い部分と種の周りが一番うまいのだという。
私が桃会の参加者に隠れて薄暗い廊下で一心不乱に桃の種をしゃぶる暴挙に出たのは夏のせいとして、剥き方を調べる途中、桃の歴史にまつわる情報にもアクセスすることができた。
中国を原産地とする桃は紀元前五世紀から記述に残っているらしく、有史のかなり早い段階でシルクロードを経由して西欧にも広まっていたという。
日本でもふるくは古事記に登場し万葉集に詠まれるなど、かなり馴染み深い果実としてあるようだ。(青果コーナーで嗅いだ香に胸が締め付けられるような心地がしたのも血のわざやもしれぬと思うとドラマチックな感じがするのでそう思うことにしておく。)
向つ峰に立てる桃の木ならめやと人ぞささやく汝が心ゆめ(万葉集)
葉がくれに水密桃の臙脂かな(飯田蛇笏)
白桃や 莟(つぼみ)うるめる 枝の反り(芥川龍之介)
ざっと検索したかぎりでは、短歌・俳句に桃が登場する場合、果実としての桃よりも春の季語として桃の花が詠み込まれるケースの方が多いようだ。
また、果実としての桃を読んだ歌人として笹井宏之などがいる。(この歌人のことは抒情歌の秋津燈太郎さんから教えてもらった。)
そのみずが私であるかどうかなど些細なことで、熟れてゆく桃
内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす
透き通る桃に歯ブラシあててみる(こすってはだめ)こすってはだめ
私は現代短歌にはあかるくないが、熟れやすく柔らかい桃の持つどこか優しく脆いイメージを別のもの(特に心的で緊張感のある事柄)と重ねて詠みあげるおかしみや、「桃(もも)」を末尾に持ってきて音として少しのユーモアを含ませている点など、面白く印象的だと思う。
ほかにも、文学作品における桃という意味では「桃源郷」であるとか「桃太郎」といった各国の伝承にもあるように、桃には神聖性や邪気払いといった要素が見出されていたようである。
この夏、恋人にフラれた友人や落第した友人がおありの方は(そうでない方も)、桃を買い込んで夕涼みと洒落込んでみてもいいかもしれない。