抒情歌

2017年に設立した同人サークル抒情歌のブログです。主に文学フリマで『グラティア』という文芸同人誌を頒布しています。

ロック音楽 - NICO『Chelsea Girl』

文=秋津燈太郎

youtu.be

あなたの腕のなかに横たわっているとき、あなたはときおりわたしに尋ねる。歴史上のどんな瞬間に生きていたかったかと。コレットが死んだ週のパリ、とわたしは答える。一九五四年八月三日のパリ。数日後には国葬が営まれ、墓のかたわらに一千本の百合が飾られる。わたしはそこにいたかった。濡れた菩提樹の並木道を歩いて、彼女が住んでいたパレ=ロワイヤルの二階の部屋の下に立ちたかった。彼女のような人々の生涯を思うと、わたしは胸がいっぱいになる。 

上記はマイケル・オンダーチェ『ディビザデロ通り』からの引用である。語り手がガブリエル・コレットの何に惹かれているのかは不明であるにせよ、かなしみや好意にあわれみ、あるいは憎悪や愛情などといった明晰な言葉で言い表せられないような感情を持たせる人間……、それこそ「胸がいっぱいになる 」としか言えないような心の充溢を促す人々は確かにいる。それはきわめて主観的な感覚なので、思うだけで「胸がいっぱいになる」ような存在はひとそれぞれだろう。

私にとってのそんな存在をいくつか挙げるとすれば、たとえば、世界の諸力に心身ともに傷つけられたひとびとを描き、本人もまた第二次大戦で精神を毀されかけたという作家のJ・D・サリンジャー

その他いろいろ、たくさん、たくさんだ。

芸術家のアンディ・ウォーホルの紹介でボーカルとして加入したヴェルヴェット・アンダーグラウンドを(おそらく不仲が原因で)すぐに脱退し、その後はウォーホルのプロデュースでソロアルバムを発表したり、女優として映画に出演したりするも、1988年に自転車の転倒事故で亡くなったニコもそのひとりである。

 

 

Nico new biopics

 

彼女のどこに惹かれるのかと考えてみると、普段の行動から歌唱などの表現にいたるまで、徹底した空虚さを感じるからと言えるかもしれない。彼女の歌がうまいかどうかは門外漢ゆえに知らないが、視聴者を圧倒するような力強い声にはどこかそらぞらしい雰囲気も漂っている。

 

www.youtube.com

 

それに、幼いときから彼女は嘘つきだったらしく、幼少期はかわいらしい嘘を「お話」として大人たちに吹聴し、成人してからも生年月日や収入や恋愛遍歴などを誤魔化すのは日常茶飯事だったとのこと。

 

www.tapthepop.net

 

最後に、私がもっとも好きな彼女のエピソードをひとつ。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのリーダーだったルー・リードは、当時ヴェルヴェットに所属していたニコから言われた「わたしがあなたの鏡になってあげる」というひとことをきっかけに「I'll be your mirror」を作詞したらしい。当時のふたりは恋仲にあったとも噂されているが、その言葉はお得意の嘘なのか、あるいは安易に覗かせない本心だったのか、それは神のみぞ知るのだろう。

 

youtu.be

 

 

解説動画 - ガガンボ『魔理沙と学ぶ東方毒キノコ講座』

文=竹宮猿麿

 

www.nicovideo.jp

www.youtube.com

 

筆者は最近、人間社会になかば見切りをつけ、自然の世界に注目しています。醸造を家業とする一族に生まれ、小学生の頃に粘菌と南方熊楠を知り、高校生時代に石川雅之の漫画『もやしもん』を繰り返し読んでいた人間としては、毒キノコは、食べれば死ぬこともあるというのに、故郷の幼馴染や実の父母よりもどこか親しみを感じてなりません。

f:id:GRATIA:20180730215559p:plain

 

Wikipediaによると、毒キノコは「日本では既知の約2500種と2、3倍程度の未知種」が存在しており、有名なものでも約200種があるそうです。さらに当動画のシリーズによれば、それぞれの毒キノコが人間にもたらす症状として本に記述されているものの大体が、実際に食べた人間への観察に基づいているそうで、食べられるキノコの発見に費やされてきた人命の数をうっすら感じます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B3#%E6%AF%92%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B3

 

しかし、そもそもキノコは「全体の9割以上が何かしらの毒を持っている」ため、毒キノコではないキノコのほうが希少なようです。人間と同じですね。シイタケでさえ毒があり、生の状態で食べると中毒の恐れがあるそうなので、なおさら人類のキノコ食への謎の果敢さが際立ちます。

毒キノコとは (ドクキノコとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

ちなみに、筆者のお気に入りはヤグラダケです。他のキノコの上に生えるキノコであり、Wikipediaによると学名として並べられた二つのギリシャ語にはそれぞれ「夜」「星を載せた」という意味があるそうです。

www.youtube.com

ヤグラタケ - Wikipedia

なお、記事を書いている最中に検索して分かったのですが、ヤグラダケはやけに色々なところで取り上げられています。毒キノコ界でも結構有名なほうなのかもしれません。

★Nyctalis lycoperdoides (ヤグラタケ)

ほぼ日刊イトイ新聞 - きのこの話。〜食べられるか食べられないか、それが問題だ〜

ヤグラタケの感染経路の謎 - Togetter

 

最後に、ガガンボさんの他の動画です。手作り感の強い、愛と温かみのある動画をたくさん投稿されています。人間も捨てたものではありませんね。かつてはブロマガを書かれており、現在は「明日もキノコ日和」というブログで書かれているようです。ツイッターもありました。

虫草観察・採取講座 ~地生型~ - ニコニコ動画

【東方手描き】ご想像にお任せします - ニコニコ動画

ブロマガ by ガガンボ - ニコニコ動画

明日もキノコ日和

ガガンボ(キノコ) (@le16144) | Twitter

時事ネタ - 日傘男子と傘の歴史

文=秋津燈太郎

www.asahi.com

 20年前に比べて最高気温の平均が4〜5℃も上昇しているとの噂を聞いて、さすがに日傘を導入しようと思った次第である。ひとであれモノであれ、自分と関わるものは多少なりとも歴史を知っておいたほうが良いという持論があるので、わずかではあるが調べてみた。

2013年に流行語大賞に「日傘男子」という言葉がノミネートされていたことを思うと、日傘をさす男性は少し前から増えつつあったようだ。じゃあ、もっと前から使っているひとはいるのかしらと調べてみたら、沖縄には半世紀も前から日傘を愛用している男性がいた。

mainichi.jp

ところで、沖縄戦を経験した彼にとって日傘は平和の象徴らしいのだが、沖縄の葬儀では、出棺がもし昼ならば黒い日傘を棺にさすならわしがあるので、ともすれば死の象徴と捉えることもできるだろう。

「傘」という物はそもそも神秘的な性質を帯びており、その起源は古代文明にまで遡れるのかもしれない。以下の記事では雨傘と日傘の別なく、「傘」の歴史について特集している。

parasolumbrella.web.fc2.com

雨傘よりも日傘の誕生の方が早いこと、傘は女性によく使われていたらしいこと、日傘は雨傘よりも装飾性に富んでいたことなどが図版と併せて述べられている。気になる方は読んでみてほしい。

クラシック音楽 - グレン・グールド『モーツァルト:ピアノソナタ第八番 イ短調 K. 310(第一楽章)』

文=竹宮猿麿

 

www.youtube.com

 

最近はグレン・グールドが演奏するモーツァルトを聴きました。筆者は専門的な音楽教育を受けておらず、クラシック音楽についてはほとんど知識がありませんが、なぜか昔からグレン・グールドの演奏するものだけは気に入っていて、時おり聴いています。

グレン・グールドはカナダ出身のピアニストで、1932年に生まれて1982年に死んでしまいました。変人として知られており、真夏にもコートを着てハンチングをかぶる、父親に作ってもらった異様に低い折りたたみ椅子に座って極端な猫背の姿勢で演奏する、ハミングしながら演奏してしまう癖のせいでレコードに「ノイズ」がよく録音されてしまうなど、兎に角エピソードには事欠かないタイプの方でした。アスペルガー症候群だったのではないかという説もあり、愛読書は夏目漱石の『草枕』だったそうです。

素人判断ではありますが、彼の演奏は軽やかで速く、どこか雑です。しかしその雑さはアマチュアの下手な雑さではなく、手慣れた指のはじき出す音の揺らめきというようなもの、正確で優等生的な演奏よりもずっと人間味に富んだ、やさしい響きを持ったもののように感じます。

彼がよく演奏していたのはバッハでした。バッハといえば重々しいイメージがある人が多いように思いますが、それもグールドにかかれば軽やかになり、仄かに明るい色合いを帯びます。かの有名な『ゴールドベルク変奏曲』も例外ではありません。

www.youtube.com

 

バッハの演奏家といえば、二番目の奥さんが日本人だったフリードリヒ・グルダが二十世紀では代表的と言われています。彼の音は質量感のあるもの、ひとつひとつに重みのあるもので、さすが「ウィーン最後のピアニスト」と呼ばれた人物だけはあるように思います。バッハを聴くとなれば、誠実な解釈を行っているだろう彼の方がよいのかもしれません。

www.youtube.com

 

それでも筆者が聴いてしまうのは、おおよその場合はやはりグールドの方です。なぜなのかは明確には分かりませんが、彼の軽やかで仄明るい音色に、時おり、切なさのようなものを感じるときがあるのが、一応の理由として挙げられるのかもしれません。元気で健康的な雰囲気すらある『イギリス組曲』の演奏のなかに、かつて、悲しみのようなものを感知してしまったことがありました。所詮は無学な人間の誤解に過ぎず、グールドの方としましても、単に弾きたいように弾いていただけのことなのかもしれません。それでもなお、そこには切なさや悲しみとしか言いようのないものがあるように思えてならなかったのでした。

www.youtube.com

 

そういうわけで、久しぶりにグールドを聴いていたのですが、かつて演奏のなかに感じた、誰のものなのか分からない悲しみを、疾走するように突き進んでいく『ピアノソナタ第八番』第一楽章の演奏のうちに再確認し、不明瞭な懐かしさを覚えました。このように甘やかな誤解を呼び起こすところに、グールドの人気の秘密があったのかもしれません。

 

最後に、個人的に気に入っているグールドの演奏動画を上げて終わります。カメラの前でもいつもどおりマイペースに弾いているグールドのやわらかい演奏と、かつて神童と呼ばれたユーディ・メニューインの格好良くシリアスな演奏が対比的で面白いです。

www.youtube.com

 

短編アニメ - デビッド・オライリー『おねがい なにかいって』

文=竹宮猿麿

 

vimeo.com

最近、David O'Reillyの『Please Say Something』という短編アニメーションを観ました。2009年の作品なので古いものだと言えなくはないですが、さいわいにもまだ全然楽しんで観ることができました(そういうものを、もしかしたら良作と呼ぶのかもしれません)。

アニメーションと聞いて我々が思い浮かべるのはおおよそ日本アニメ、より厳密にはアニメ風のタッチで美少女が描かれている動画(いわゆる美少女アニメ)ではないでしょうか。しかし、たとえばアメリカには『パワーパフガールズ』『マイリトルポニー』といったカートゥーン・アニメ、『リック・アンド・モーティ』のようなシットコム・アニメがあり、日本には、かの有名な宮崎駿に象徴されるジブリ・アニメをはじめとして、押井守イノセンス』のような映画の影響を受けたアニメ、新海誠『君の名は』のような爽やかで綺麗な画面のある種「純粋な」アニメ等々があります。アニメにも多様性があるという話ですが、作者のオライリーさんはアイルランド出身でドイツのベルリンを拠点に(少なくとも当時は)活動していたというのですから、そこから察するに、アニメの国際的多様性というのは東京某所でひっそりと生きている筆者の想像を軽く超えていくほどのものなのでしょう。

当作品はネズミとネコのカップルの物語を描いたもので、全編に切なく仄暗い雰囲気が漂っています。この世界のネコはみんな頭が巨大で、とてもかわいらしいです。あまり見ないタイプのデフォルメの仕方のおかげか、単純な割には見ていて飽きが来づらいように感じます。

建物や家具から生物に至るまで、作中世界のあらゆるものが直線的に、またはゴツゴツとした姿で表現されているあたりは当時の「バーチャル・リアリティーへのイメージ」が過剰化された形で反映されているようで面白いです。どんなものでも古くなってしまうので仕方のないことではあるのですが、時代を感じます(とはいえ、表現の古さ新しさが作品の面白さに直結するかといえば、かならずしもそうではないでしょう)。

おおよその感想としては、泣ける話で楽しめました。ネズミがネコにドメスティック・バイオレンスを行うというあたりがあべこべでよかったです。

 

 

なお、作者のデビッド・オライリーさんのサイトです。

David OReilly

ついでに他の方が当作品について書いた記事も上げておきます。

ネズミとネコの夫婦の困難な関係を描いたアニメーション | しちごろく

『おねがい なにかいって』デヴィッド・オライリー – たんぺん メイキング 拾い

David O’Reilly「The External World」 - CHARA PIT

琉球文学 - 島尾敏雄『琉球文学論』第2章

文=秋津燈太郎

 

第二章 琉球語について

 

1.琉球弧の範囲

琉球列島の範囲としては奄美、沖縄、宮古八重山の島々と限定することができるが、それらの島々の呼称については一考の余地がある。たとえば、「琉球」という呼び名は中国側からの呼称であるゆえに現地の人々に避けられているし、「南西諸島」では作戦用語のようなものものしさが出てしまう。そのなかでとりわけ妥当と思えるのは、日本列島が弧状の島嶼から成立していることに由来する「琉球弧」である。特定の国からの呼び名でもなければ、特殊な意味が込められているわけでもなく、あくまで地形にを基に考えられた呼称なので、客観性が高いと思われる(加計呂麻島をはじめとして、島ごとに自称と他称のことなる事実もあるので)。

 

2.琉球語と日本語

琉球語と日本語は起源が同じだと言われており、日本語の古い言葉、つまり、万葉あたりの言葉がなごりとして表れていると見做すむきもあるのだが、言語の変化の速度という点も考慮するならば、それよりもはるか昔に端を発しているとも言える。

言語学者の服部四郎氏は言語は一定の速度で変化すると主張している。島尾氏自体にもその仮説は実感を伴っているらしく、たとえば、若い女性の発言を耳にすると、ここ2、30年の間に「じゃ」の発音が「ざ」に変化しているように聞こえるとのこと。

そのような仮説のもとで言語変化の速度を計算してみると、1450年ほど前の奈良時代に日本語(京都方言)と琉球語琉球方言)が分離したと推測できるものの、それ以前の、五千年から一万年とも言われる縄文時代の長い共同体験を無視することはできない。分離以前の時間が非常に長かったため、どうしても日本語とのにかよいを感じざるを得ないというわけである。

琉球文学 - 島尾敏雄『琉球文学論』第1章

文=秋津燈太郎

 

琉球文学についての講演を文字に起こした『琉球文学論』は、島尾氏の論理の曖昧さに加えて書き言葉としての文体が粗雑なこともあり、とにもかくにも読みづらい。とはいえ、彼自身の主張はさておいて、書かれている内容の資料的価値はたしかにあるし、これから琉球文学の読解に取り組もうとしている者の足がかりとしても優秀なので、簡潔明瞭に論旨をまとめてみようと思った次第である。

ご意見・ご指摘などあれば遠慮なくお願いいたします。

 

 

・第一章 なぜ、琉球文学か

1.

琉球方言で書かれた文学を琉球文学と本書では呼ぶ。

琉球語という独立した言語ではなく、あくまで日本語の一方言という表現にした理由は、日本語も琉球の言語も起源をおなじにしている可能性があるという説に因る。(とはいえ、太平洋戦争後に移住した島尾氏の感覚では、本土とはことなる様子があるのは否めないようだ。)

 

2.

1543年のポルトガル船の北上や日本船の南下以前には、東南アジアの貿易の橋渡しとしての役割を担っていたと今でこそ周知であるものの、歴史的事実を裏付ける資料は長いあいだ存在しなかった。

その資料が発見されたのは昭和(1931年)になってからである。

貿易に関する資料(琉球と取引国それぞれの遣使の身分証明や貿易の意向)をまとめた『歴代宝案』が発見された久米村は、外交に必要な技術や知識を琉球王国に根付かせるべく、1372年以降に明の太祖が遣わせた移住者たちの住む地域であった(※1)。そのような事情でよそより技術や知識に長けたひとの多い土地であるためか、三司官の蔡温をはじめとする為政者を多く輩出してきたようで、おそらく、『歴代宝案』はそこの秘匿文書として代々丁重に受け継がれてきたので、発見が遅れたのであろう。

 

3.

辿ってきた歴史が地域によって異なる以上、奄美沖縄本島、先島を一緒くたにするのは問題がある。たとえば、奄美薩摩藩琉球入り(1609年)に際して割譲されているが、沖縄本島の治世はそれまで同様に琉球王府によりなされてきた。つまり、本土からの影響に差がある以上は、文化面も多少なりとも異なる展開をしているはずである。本土をふくめた各々の島の差異を考察するべきであろう。(島尾氏は後に各島ごとの琉球文学のちがいについて実際に述べている)

 

1:彼らは「閩人三十六性」とも呼ばれ、造船、船舶修理、航海術、通訳、外交文書作成、商取引方法についての技術と知識を蓄えていた。また、久米村は琉球王府の配下ではなく相対的に自立していたようで、久米村総役と呼ばれる代表の下に複数の役職を擁するような自治色のつよい組織だった。(高良倉吉琉球王国』より)