抒情歌

2017年に設立した同人サークル抒情歌のブログです。主に文学フリマで『グラティア』という文芸同人誌を頒布しています。

アニメソング - bôa「Duvet」

文=竹宮猿麿

 

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筆者の周りにはいつもアニメ好きな友人たちがいたし、今でもそうだ。

これには世代の問題もあるだろう。筆者の世代(1994年前後)は、中学生になるかならないかという時期に「灼眼のシャナ」(2005-2006年)、「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年)、「らき☆すた」(2007年)等の有名アニメを立て続けに浴びせられた。後に中高生の関心と時間をごっそり奪い取っていくことになるニコニコ動画もサービスを開始したばかり(2006年12月)だった。

筆者の中学校の運動会では「ハルヒ」のオープニング曲「ハレ晴レユカイ」のダンスが三年間連続で踊られていたし、当然筆者も今も多少踊れる程度には踊らされた。「けいおん!」の第一期(2009年)が放送されたときは軽音部に入る人間が急増加し、その影響でロックを聴いたりギターに触れるようになった学生がたくさんいた。

そのような時代を通過し、オタク側に位置する友人知人たちに囲まれて生きてきたにもかかわらず、筆者はアニメを心から好きになることができなかった。好きな人々がオタク側なので好きになれるよう努力してきたが、アニメを好きになる才能にはついに恵まれなかった。だから、アニメという文化には負い目を感じ続けていて、今でも機会があればなるべくチェックするようにしている。

 

先日、アニメ「Serial experiments lain」(1998年)を全話一気に観た。

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そのときは日本酒の飲み過ぎでべろんべろんになっており、隣で一緒に観ている友人に向かって「ねえこれつまんない! つまらないよね? ねえ!」と意味もなく絡んでいたが、内心では冷静に「これはたしかに面白いかもしれない」と思っていた。

諦念にも似た倦怠感のある仄暗い雰囲気、訳は分からないが独特な世界観を垣間見せてくれるストーリー展開、時々唐突にやってくる洗練された演出の一場面。全体的には作品としてしっかりした出来だとは言いにくいものの、ワンクールの放送だけで二十年後の現在まで語り継がれるカルトアニメになるだけのことはあった。

だが筆者の関心を強く引いたのは、作品本編よりも、話の冒頭で毎回流されるオープニングのほうだった。一言では表現できない「lain」の世界観をもっとも分かりやすく表現しているような気がしたからだったが、それにしてもやけに音楽が格好いい。特に終わりあたりの切なげな雰囲気が、友人宅から帰宅した翌日もずっと忘れられなかった。

Googleで調べてみると、それはbôaというイギリスのロックバンドが歌っている「Duvet」という曲だと判明した。bôaについてはWikipediaと「lain」でシリーズ構成を務めた小中千昭氏によるこの記事に詳しく書かれている。興味のある方はぜひ参照してほしい。

ところでこの記事によると、小中氏は「Duvet」を初めて聴いた際に地味だと感じたそうである。

その点は筆者も同じだった。

最初に聴いたとき、聞き慣れないタイプのサウンドと歌唱だったので実はあまりよく理解できず、派手な部分があるわけでもなかったので、まさしく小中氏と同じく地味という感想を抱いた。「アニソンってのはもっとこう、景気がいいものなのでは」という偏見があったことは否定できないが、それでも筆者と小中氏の最初の印象はあながち間違ったものではないように思われる。「Duvet」は良くも悪くも内向的な曲なのだ。

だからこそ、一話一話と観るなかで繰り返し聴くうちに「Duvet」の魅力が分かるようになってきた。ボーカルの、わずかに哀愁を帯びながらも無表情で平然とした歌声は、たしかに分かりやすい抒情性を欠いているかもしれない。だがそれゆえに、サウンドのどこか悲しげな雰囲気を一層悲しいものにしているのではないだろうか。

「Duvet」全体としても、あっけらかんとしているようで、陰鬱で、冷ややかで淡々としていて、しかし決して情緒的ではないというわけではなく、むしろ切なさを幽霊のように不確かなかたちで感じさせてくる。それはまさに筆者が「lain」全体から感じた印象でもあった。

いや、逆に「Duvet」を聴いてアニメ本編の雰囲気をそう感じたのかもしれず、もはや「lain」と「Duvet」は筆者のなかでは渾然一体となっている。だから「Duvet」について語るのに「Duvet」だけを取り上げることはできそうになかった。「Duvet」は筆者にとってはロック音楽である以上にアニソン、「lain」のオープニングテーマである。アニソンはひとつのれっきとした音楽であると同時に、アニメの一部でもある。そうした認識が筆者のなかで「lain」と「Duvet」を渾然一体化させてしまったのかもしれない。

ここ最近は毎日「Duvet」を繰り返し聴いている。これが「lain」の一部なのだとしたら筆者は「lain」がそこそこ好きなのだと言えるし、いずれは作品全体を本当に好きになれる日だって来るかもしれない。そして「lain」を通してアニメというもの自体が心から好きになれたなら……そんなささやかな夢を期待感もなく託しながら、明日も「Duvet」を聴くことだろう。

 

「Duvet」とこれまた渾然一体化しているオープニングのアニメーションだが、その最後のシーンが初めて見たときからずっと気に入っている。

 

歩道橋の上で風が吹き、主人公の玲音の帽子が吹き飛ばされてしまう、と同時に烏が飛翔する。ボーカルの歌声が余情とともに引いてゆき、烏を眺める玲音の顔がアップで映される。吹き飛ばされたはずの帽子はなぜか宙に固定されて微動だにしないが、玲音はそれを顧みることなく、ポケットに手を突っ込んで何事も起きなかったかのように去っていく。

そして、曲調の切なさは終わりを前にして唐突に増し、サイバースペースを思わせる背景に半透明の玲音が現れる。彼女は悲しそうに目を伏せて首を振ったあと、なにかを悟ったかのように斜め上を見、そのまま揺らめいて背景に溶けていってしまう。

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