抒情歌

2017年に設立した同人サークル抒情歌のブログです。主に文学フリマで『グラティア』という文芸同人誌を頒布しています。

悪いオタクとは何か、そしてこのオタクソングがすごい!という話

文=秋津燈太郎

 

先日、印象に残った今年のオタクソング(アニソン、ゲーソン、声優の楽曲など)を紹介してくれと悪いオタクの友人に頼まれた。どうせブログのネタもないしざっくり紹介するかと思っていたのだが、どのような基準で選んでいるのかを示さないと散漫な印象を与えかねないため、私がどのような種類の「悪いオタク」で、日頃どのような態度でアニソンなどを消費しているかを簡単に説明する。

 

◾️悪いオタクとは?

ネットサーフィンやアニメ鑑賞が生活の一部になっているからだろうか、おれは悪いオタクだからとか、それは悪いオタク(の行動)ですよとか、何かにつけて「悪いオタク」という言葉を使っているのだが、それの確たる意味は正直よく知らない。「どうせ独自すぎる解釈を他人に押し付けることでしょ」などとゆるふわな理解をしていて、ネットで用例を調べてみた限りでは間違いではないらしいけれど、どうやら他の意味も色々とあるらしい。その分類はおおむね以下の4種類にわけられる。

 

①マナーの悪いオタク

②自分と合わない人との関係を容赦なく切り捨てるオタク

③自身の解釈を強要するオタク

④現実の物事 を自分の好きな作品の世界観で解釈するオタク

 

自分の行動を照らし合わせてみると、①に関しては気をつけているから身に覚えはあまりなく、②は無意識下でやっているかもしれない。

は思い当たる節はあるのだが、議論の流れだったり、あるいは私の話を必要以上に受け入れすぎたりと、結果論としか言えないケースも多々あるのでグレーだ。

もっとも深刻だと自覚しているのは④であり、隙あらば好きな作品の世界観を通してものごとを解するのは日常茶飯事。そのなかでも、名設定や名言をコンスタントに生み出す『HUNTER×HUNTER』にはとりわけお世話になっている。たとえば、多弁のせいで身を滅ぼすひとを見ては「答えは沈黙」などと心のなかで呟いて、同僚がこれまで誰も気付かなかった問題を発見したときなどは、問題を見抜く眼を持ちながら対処する実力まではない人間が首を突っ込んだら身を滅ぼすのを同作品で学んでいるので、独断での対処は控えるよう忠告している(ヨークシン編でクロロの手刀を見逃さなかったひと)。

どうにもピンとこない方は、人生を漫画にたとえる人間のようなものだと思って欲しい。

 

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クロロの手刀を見逃さず、単独で彼を仕留めに向かったおじさんは無残な最期を迎える。他人の力量をなんとなく推し量れるけれども対処まではできない、中途半端に優秀な人間の例である(ゲェーン!!)

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また、上記4種類の他にも見過ごせないと思われる点もひとつある

 

⑤無闇やたらと作品外部の文脈を解釈に利用するオタク

 

これは④と似ているように思えるが、現実の物事を解釈しているわけではない点、そして、外部の世界観、あるいは法則を適用しているわけではない点において異なる。引用するのはあくまで作品に携わっている人々の文脈や事実、ありていに言えば予備知識に他ならない。

実績に基づいて対象を理解する特性上、作家論を考える場合はそこそこ役立つ一方で、作品そのものを読解する際にはあまり意味をなさないところに難がある。とあるプロジェクトの企画段階において、成功した昔のプロジェクトに使われた方法を無思慮に採用することが危険なのは察しがつくのではないだろうか。

とはいえ、外部の文脈を踏まえることで作品をより魅力的に感じられたり感慨を得られたりするケースは確かにあるので、盛り上がりながら作品を楽しむ方法としては悪くないのもまた事実。私自身、作品を娯楽として消費するときは⑤の方法をよく使っており、オタクソングもまたご多聞に漏れずである。たとえば、Q-MHz東山奈央の楽曲「I,my,me,our Mulberryにおいて東山は性質のことなる複数の声を使い分け、あたかもツインボーカルであるかのように演じているが、『艦これ』で金剛四姉妹をひとりで演じた実績を踏まえれば「正しい使い方」であると感じられるのである。

今回は⑤において印象深かった楽曲を紹介する次第である。言うまでもなく、条件・前提において作品への評価や意見はだいぶ異なる。質そのものがより優れていたり魅力的だったりする曲は他にもあるだろうし、今回紹介する曲にせよ、別の切口から考えればより面白く観えるかもしれないことははじめに断っておきたい。(他人に教えられないという前提において、徳は知識ではないとソクラテスが結論づけたように)

とりあえず説明に手間取ったので前編で2曲ほど紹介し、もし需要があれば後編で3曲ほど取り上げたい。

  

◾️SKY-HI「Diver’s High」

 

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ガンダムビルドファイターズのOP。MVを観ればすぐにわかることなので殊更言うまでもないのだが、あるときはAAAの日高光啓として、あるときはラッパーのSKY-HIとして活動する彼はとにかく顔が良い。

この曲は、元東京事変亀田誠治と、UNISON SQUARE GARDENの斎藤宏介を迎えたことでも話題になった。個人的にポイントが高かったのは、スカパラの「白と黒のモントゥーノ」やスガシカオの「Music Train ~春の魔術師~」、尾崎世界観の「栞」など、とにかくボーカリストとしてのゲストが多い斎藤宏介をはじめて“ギタリスト”として招いた点。

UNISON SQUARE GARDENの曲をよく聴いているSKY-HIは、かねてから斎藤のギターのプレイングにも注目していたらしく、とにかくエフェクターの踏み替えの多いユニゾンの複雑な楽曲を完璧に弾きこなす様子を「タップダンスを踊ってるみたい」とラジオで言及していた。(たしか自身のラジオであるACT A FOOLだったと思う)

まぁよく観ているものだと感心するが、実はこのふたり、早稲田実業高校と早稲田大学の先輩後輩で、在学中から互いに意識していたのだという。

1985年生まれで先輩の斎藤宏介は、ひたすら顔が良くてモテそうなSKY-HIに多少の嫉みを感じ、対する1986年生まれで後輩のSKY-HIはといえば、校則を平気で破り、一匹狼的な雰囲気を醸し出していた斎藤宏介に憧れと少しの畏怖をおぼえていたそう。そんなふたりが三十路過ぎになってようやく共作したのだから、両者のファンとしては喜びもひとしおなのだ。

 

 

◾️中島愛「サブマリーン」

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中島愛という名前に聞き覚えのない方は、『マクロスFのヒロイン、ランカ・リーの中の人と聞けばピンとくるだろうか。

2008年当時、19歳でランカ・リー役に抜擢された彼女もいまや29歳。若くして脚光を浴びた彼女であったが、マクロス以降の歌手活動は山あり谷ありだったようで、3rdアルバムを発表した2014年に歌手活動を休止をし、2年後の2016年に活動を再開、それからさらに2年後の今年になってようやく4thアルバムの『Curiosity』を発表した。

本アルバムの最大の特徴は、経験ゆたかな作詞曲家(新藤晴一本間昭光フジファブリック前山田健一など)がこれまで以上に多く制作に加わることで、どうしてもランカの影の見え隠れする曲ばかりだった3rdまでに比べて多様性が増し、それによって公共性が上がっている点にある。ここでいう楽曲の公共性とは、楽曲を楽しめる視聴者の幅を意味し、一般ウケを狙って本来の持ち味を失うことでは決してない。それどころか、歌手としてのポテンシャル・引き出しは前作までよりも活かされており、「Life’s The Party Time!!」では溌剌とした歌唱を、「サタデー・ナイト・エスチョン」では楽曲の展開に合わせたメリハリのある歌唱を、「未来の記憶」は彼女が元々得意としてきた儚げな歌唱を披露している。

では、様々ないろどりを放つそれらの楽曲に比べて「サブマリーン」は何において特出しているのかと言うと、ひとことで表現するなら、不自然さである。

先に列挙した曲は、曲調と歌詞がマッチしている点において「自然」だが、「サブマリーン」はその真逆。底抜けに牧歌的でご機嫌な曲調なのにも関わらず、歌詞では人間関係への絶望や現実に対する過酷な認識が表現されていて「不自然」である。

ベッドに沈んだままで 今は逃避のサブマリーン

潜望鏡を伸ばしては 外の世界を覗き見ている

 

行き交う人 恋する人 夢みる人の目が眩しすぎて

 

ここは静かな海 息を潜めて 涙が作る小さな海 一人きりの

いつまでもここにはいられはしない

浮かび上がる準備しなくっちゃ そろそろ

水面はキラキラと輝くだけじゃない 嵐の夜もきっとまたくる

どんな時も私の船の舵はこの手でぎゅっと 握っていよう

 

私の悪口を言う 友達たちの歪んだ口

潜望鏡を音も立てず 海の中に下ろして泣いたの

 

信じること 交わること 手をとりあうことは簡単じゃない

 

そこは猟奇の森 危険でいっぱい 赤く光る目が私を見つめている

いつまでもここにはいられはしない 強くなる準備しなくちゃ いよいよ

世界はキラキラと輝くだけじゃない 孤独な夜もきっとまたくる

闇の中に落ち込まないようにあなたの声を 聞かせて欲しい

 

誰もいない 遠い海の上 森の空の上

見上げている 祈っている 無数の星 今夜は 歌っていてね

 

ここはリアルの街 地面を踏んで 大人の顔に微笑みを 絶やさないの

心にはサブマリーン 感情全部 誰にも見せたりはしない 大事な場所

 

大事な場所 私だけのサブマリーン

大事な場所 秘密の場所

誰にも届かない場所は この胸 

あたかも孤独が一生続くかのような詞を提供したのは、ポルノグラフィティのギタリストである新藤晴一である。私なんかは思春期に『ミュージック・アワー』などを聞いて育ったR.N.”恋するウサギちゃん”世代なので馴染み深いのだが、様々な音楽ジャンルやミュージシャンの台頭のせいか、最近は昔ほど話題にならないポルノグラフィティ伸びやかなボーカル、そして無骨さでありながらどこか可愛げのあるサウンドが特徴的であるが、かつて私がよく聴いていた理由は歌詞にあり、過去、現在、未来のあまねく時間において運命に支配され続けるのが人間であると言わんばかりの絶望感が好きだった。

無知無能であるゆえに他人を情を抱かずにおれない人間たち、つまり、愚者たちと関わらねばならない天使の気苦労と諦念を示した「オレ、天使」。

”悲しみが友の様に語りかけてくる 永遠に寄り添って僕らは生きていく”という一節が印象的な「シスター」。

基本的には頭から結まで流れの決まっている演劇と、どう足掻いても運命を受け入れざるを得ない限界を重ね合わせた「ジョバイロ」は、新藤晴一の作詞スタイルを端的に表している。

人は誰も哀れな星 輝いては流れてゆく

燃え尽きると知りながらも誰かに気付いて欲しかった

 

胸に挿した一輪の薔薇が赤い蜥蜴に変る夜

冷たく濡れた舌に探りあてられた孤独に慣れた心

 

舞台の真ん中に躍り出るほどの

役どころじゃないと自分がわかっている

 

あなたが気付かせた恋が あなたなしで育っていく

悲しい花つける前に 小さな芽を摘んでほしい

闇に浮かんだ篝火に照らされたら

ジョバイロジョバイロ

それでも夜が優しいのは見て見ぬ振りしてくれるから

 自分のこころを「静かな海」、現実を「猟奇の森」と見做し、人間関係における孤独を受け入れる「サブマリーン」の語り手。「遠い海の上」や「森の空の上」という自身から遠く離れた場所に輝く「無数の星(≒あなた)」の歌声をよすがに生きる人間は、私にとって懐かしい友人のように思えてならなかったのだ。