抒情歌

2017年に設立した同人サークル抒情歌のブログです。主に文学フリマで『グラティア』という文芸同人誌を頒布しています。

文芸同人誌 - 短歌同人誌『ひとまる』

文=秋津燈太郎

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■短歌同人誌『ひとまる』とは

HPや同人本誌に公式の経歴がないので私の知りうるかぎりの情報になるが、1998年以降に産まれた同世代歌人たちによる同人サークルで、メンバーはそれぞれ早稲田短歌会や九大短歌会など様々なサークルに所属しているようだ。公式twitterのbioに「武田穂佳以降」と書かれているように、1997年生まれの年の歌人である武田穂佳さんへの意識をメンバーそれぞれ抱いているのかもしれない。

 

■収録されている連作について

本誌は同人メンバーたちの連作と、座談会と評論からなる企画の二部で構成されている。

笹井宏之さん、岡野大嗣さん、木下龍也さんの作品しか現代短歌を知らない私にとって、各12首からなる連作は非常に新鮮だった。5・7・5・7・7の規則を解りやすく遵守しなくても良いことを実感したし、すべての連作が固有の音楽を持ち、モチーフの使い方にも詠み手の歴史が顕れていて読み応えがある。

恋愛にまつわるあれこれを詠む「相聞歌」が連作集の大半を占めるなか、久永草太さんの『不在』が特に印象に残った。癌に蝕まれた祖母の死を詠んだ本作は、死者を悼む「挽歌」と一般的には呼ばれる。

相聞歌より挽歌の方が優れているわけでは当然ないし、どちらの方が難しいと言うつもりなど毛頭ない。恋愛や慕情という普遍のテーマを扱う相聞歌のように、生物みなの宿命である死と向き合う挽歌もまた、かなしみの表現が押し付けがましくなったり、過剰に凝った言葉をもちいて厭味な雰囲気を帯びたりしがちなのである。

久永さんの作品はその壁を超えているように観える。作者主体と作中主体のどちらの実感なのかは不明であるにせよ、連作の一首ずつに詠み手の固有性(主体のかなしみ)が顕れているし、モチーフのひとつひとつに秘められている記憶(外部のかなしみ)と誠実に対峙しているのだ。

何首か紹介したい。

 

そこにもう火のにおいなく病室に鞴(ふいご)がひとつ動きを止める

 

祖父の手は痩せたヤモリの自棄(やけ)に似てスミレ図鑑を棺に入れる

 

水切りののちにその名を説きながら弔花を生けるひと不在なり

 

 

■高校短歌から大学短歌へ

豊富な企画のなかでとりわけ興味深く読んだのが、「高校短歌から大学短歌へ」と題された座談会である。参加者は九大短歌会の石井大成さんと、早稲田短歌会の染川噤実さん。大学のサークルに所属しながら研鑽されているおふたりは、高校生のときから短歌を詠むだけでなく、チームで歌の優劣を競いあう短歌甲子園にも参加していたという。

高校文芸と大学文芸のちがいを身を以て知っている彼らの対談はまず、短歌における高校生らしさについて語る。おふたりが共に感じていたのは、「高校生」という社会的立場に合わせて主体を形成していくきらいがあること。(与太話。大学時代の私は文芸サークルに所属していたのだが、女子高生どうしの交流を描いたとある部員の作品を合評している際に、参加者から発せられた「女子高生に何かを見いだすのはやめろ」という嘆きはいまだに忘れられない)

その実例として、染川さんはご自身が高校時代に詠んだ歌をあげる。

 

くちびるに校則違反を塗りつけて誰かに気づかれたい春になる

 

高校から大学に進学したあと、染川さんは高校時代には詠みづらかった性愛を扱う歌を作り、石井さんはひとり暮らしをテーマに創作するようになるのだが、そのような立場から高校文芸というシステムを振り返ると、同世代ではなく短歌に知悉していない大人が入賞作品を選んだり、あるいは短歌甲子園で勝つための歌を詠まざるを得なかったり(勝負の緊張感により良い作品が生まれることもあるとも述べている)するので、自己表現という点で難があるようだ。しかしながら、審査員を唸らせる技術と作者性の両立も大切であるとしたうえで、雑誌や新聞に投稿するなりして「高校」という枠組みを飛び出すことの重要性も述べている。

以上が私なりの要約である。

 大学入学後に文学の道を志した私にとって未開の地だった高校文芸の生態系を知れたのは何よりの収穫であった。

ところで、短歌甲子園平安時代の歌合を思わせる。歌合の詳細はwikipediaを参照してほしい。(より深く知りたい方には、国文学者である竹西寛子の『日本の文学論』をおすすめしたい)

歌合から生まれた判詞が「幽玄」や「有心」という後の日本文学につらなる批評概念を産み出したように、若者の青春をいろどる短歌甲子園が後世の文学会をより良いものにしてくれることを願うばかりである。

歌合 - Wikipedia