抒情歌

2017年に設立した同人サークル抒情歌のブログです。主に文学フリマで『グラティア』という文芸同人誌を頒布しています。

Web漫画 - くらっぺ『春出汁』

文=竹宮猿麿

 

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春出汁-top

 

【『春出汁』とは】

『春出汁』は自作漫画・小説のコミュニティサイト新都社で2009年から掲載されている漫画で、完結はまだしていません。

作者はくらっぺ(倉金篤史)さんという方で、現在は月刊漫画雑誌コミックリュウで『PiNKS』、女性向けの月間漫画雑誌フィールヤングで『はぐちさん』を連載なされています。この記事によれば2013年に『PiNKS』で商業デビューを果たされていたらしく、『春出汁』を初掲載した当時はまだプロには成られていなかったようです。かつてはサイトを運営なされており、現在はツイッターで情報を発信なされています。

宵待ち坂

くらっぺ (@qurappe) | Twitter

 

作品の大筋は、大学を中退した無職の「八千代」が仕事を探しながら人と出会っていく話です。派手な事件が起きるわけでもなければ複雑な人間関係が展開されるわけでもなく、物語はゆったりした速度で進行していきます。眠たくなる春特有のやわらかい情緒に覆われた街、ささやかなエピソードの連続、断片的な思考、いわば「抽象化された日常」が前景に押し出されている作品だと言うことができるでしょう。

そうした曖昧な世界観には2000年代前後にあった当時の「気分」、具体的には社会学者の宮台真司が『終わりなき日常を生きろ』(1995年)で述べていたような「終わりのない日常が永遠に続く」ことに対する、当時の社会の倦怠感が反映されているのかもしれません。とはいえ、最近のニュースやサブカルチャーからはそうした気分がだいぶ失われつつあります。平成の終わりが終わりなき日常の終わりなのだとしたら、いまだ完結する兆しのない『春出汁』とは一体なんなのでしょうか。

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漫画はふつう、刺激的な導入部で読者の関心を引きつけ、読めば読むほど面白くなっていくように物語の流れを構成し、クライマックスで名残惜しさや感動がこみ上げてくるようにしてくることが多いように思います。しかし『春出汁』は読者に感情的な起伏を与えることなく、日常の範疇を出ない物事を淡々と描いていきます。その点ではいわゆる「日常系」と呼ばれる作品群と似た様式を持っており、作中世界には静謐な安寧が付与されるわけですが、『春出汁』が「日常系」と異なるのは街に不穏なサイレンの音が鳴り響く点です。繊細な八千代はそこに「誰かの不幸」を読み取ります。「誰かの不幸」とは言い換えれば誰かの日常の崩壊であり、それは八千代の家からそう遠くない場所で起こっています。後にサイレンの音は「誤報」だったと作中で噂されますが、それでもなお不穏な空気は拭われることがありません。

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この作品はよくまとまっているとは決して言えません。だからといって作品の体をなしていないというわけではなく、むしろ、作品の様々な要素が『春出汁』特有の雰囲気を創出し、それが作品全体を包括することですべてがひとつに丸く収まっているのだと言えます。つまり、八千代というキャラクターからなぜか滲み出ている倦怠感、二十歳前後のモラトリアムにありがちな生活の浮遊感、作品を特徴づけている淡い配色等々、それらの要素を同時に示すことを通し、実際の作中では桜と台詞でしか春を表現していないにもかかわらず、『春出汁』は春の情緒を立体的に出現させているのではないでしょうか。

そもそも、春ないし季節というものそのものが曖昧なものです。春を基調とした『春出汁』の2018年現在の世界はかえって、全体の曖昧さなしには成立しえませんでした。その曖昧さとは、八千代の大学中退の理由という物語の出発点の曖昧さであり、火事によって日常を掻き乱された「誰か」という外部的存在や「誤報」の噂の曖昧さであり、作品そのものがまだ完結していないことから来る物語の先行きの曖昧さです。これらは「日常系」と呼ばれた作品群の持つ曖昧さとは質的に異なります。

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先程も申し上げたとおり、この作品は未完結です。2009年から掲載されているのにまだ四話までしか進んでいないことから、完結はおそらくありえないのだと思います。そのことは作品世界の春と主人公のモラトリアム的日常を千代も八千代も続くものとし、作品全体のノスタルジックな情緒を一層引き立てるかのようです。現実の時間は進むばかりで帰ることがなく、平家物語の時代から人間は得るよりも失うことを必定としています。だからこそ『春出汁』の物語が一向に進まない現状にはむしろ安堵を覚えなくもありません。とはいえ、人間には未来を求める性質があるため、初めて読んだ当時から筆者はずっと更新を心待ちにしています。それも既に数年の月日が経ちました。かつては日本の各所で展開されていたはずの曖昧な世界をそのままにしながら、社会は平成の次の時代へ移行しようとしています。

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