抒情歌

2017年に設立した同人サークル抒情歌のブログです。主に文学フリマで『グラティア』という文芸同人誌を頒布しています。

創刊の辞(『グラティア vol.1』所収)

〈作者〉という概念がひとびとの文学観を支配し、解釈といえば作品にこめられた〈作者〉の気持ちやテーマを読みほどくことだった当時のなかで、批評家ロラン・バルトが提唱したのが「作者の死」でした。「文学ないしテクストは自律しているため〈作者〉とは無関係に解釈できる」とするそのアイデアは、ひとびとに大いに歓迎されましたし、たしかに文学解釈に新たな自由をもたらしたことでしょう。

しかし、バルト以降の文学理論や文芸批評のシーンは、たとえば植民地や差別などの政治的トピックをテクストから解釈しようとする傾向が強く、〈作者〉のかわりに〈社会〉が王座に君臨したかのような印象を受けます。また〈作者〉の追放にともない、ウォルター・ペイターやT・S・エリオットに代表される審美的な批評スタイルが廃れ、専門家たちが文学における良さを具体的に論じなくなったことから、「良い文体とはなにか」「良い作品とはなにか」をじぶんなりに模索したり、文学をより楽しんだりするのに役立ちそうな、いわゆる「主観的な」ヒントというものが世間に流通しなくなってしまいました。

もちろん、学術的に〈社会〉を解明するのはそれじたいで意義あることですし、文学とは各人が心のままに定義・享受すべきもので、他人発祥のヒントなどという不純物は必要ないのかもしれません。とはいえ、まず、文学が文学理論や現代哲学の知識によってのみ理解できるものだとはかぎりません。また、他人のアイデアからヒントを得ることで、文学への新しい洞察や楽しみ方に開かれる可能性は無視できないものとおもわれます。

サークル「抒情歌」の私たちは、文学、さらには文化というものを、理性のみならず直観や感覚などからも成立する(している)ものと考えています。その立場から良い文章を書きたい、良い作品を論じたいというねがい、『グラティア』を創刊した次第です。

多彩な価値観が咲きみだれ、個人の意思や嗜好が尊重される現代社会の例に漏れず、私たちもまたそれぞれ別々のおもいのもとで、いまに至るまで別々の道を歩んできました。これからもそうあることでしょうが、その一方で、喫茶店で文学や音楽などの話題で雑談するたびに、共感が生まれたり、互いにヒントを得たり、不思議と道が交わったりしてきたのもたしかな事実です。あなたと『グラティア』にも、そのような瞬間があれば幸いです。

 

(注:ブログに転載するに当たって、文章は一部修正されています)